
澪は真人に依存している。だから頻繁に出張する真人を勘ぐってしまう。誰か他の女性といるんじゃないか。勤務中でも頭がいっぱいになる。真人は澪の疑念をすぐに察知。疑いを晴らそうとするが、第1話で出張から帰ってきた真人の表情がなかなか怖い。
澪の疑念が深まる夜。予定より早く帰宅した真人にドキッとする。「ただいま」とがちゃりドアを開けて入ってきた真人が、澪に背を向けた姿勢でスマホ画面に照らされる表情と目の見開きに一瞬の狂気が浮かぶ。
澪は夫の不倫を疑っている場合ではない。彼は殺人者なのだ。洋菓子店に関連する事件が並行する中、真人による具体的犯行場面が描かれずとも、彼が殺人者であることは明白。第3話でやっと真人の犯行場面が視聴者にだけは明かされる。視聴者もある種、共犯関係かのようなスリリングなドラマ構成である。

真人が正真正銘の殺人者であるという第3話での種明かしを経て、改めて第1話で一瞬の狂気を浮かべた成宮の演技に注目しておきたい。まず本作中の成宮は、昼と夜の場面で明確に表情が違う。澪との朝食場面など、基本的に朝の場面はさわやか。でも夜は、どす黒い狂気にかられた表情になる。
かと思えば、筒井真理子演じる愛人との逢い引きは朝か昼の場面なのに、明るい光の中で成宮がにじませるさわやかさと狂気が見事にとけあう。つまり、成宮寛貴とは、照明にあわせて役柄の清濁をグラデーション豊かに表現できる人。
成宮演じる主人公が、大学生から社会人にかけてアルコール依存症に身をやつしていく主演映画『ばかもの』(2010年)もそうだった。大学時代の友人と再会する場面で、早朝の薄明かりと間接照明が同居する室内で、その後依存症になっていくことを明示する一瞬の表情変化が印象的。
復帰作となる『死ぬほど愛して』では、そうした特性をよりわかりやすく提示して、清濁あわせもつ俳優として再スタートした感じだ。
<文/加賀谷健>
加賀谷健
コラムニスト/アジア映画配給・宣伝プロデューサー/クラシック音楽監修
俳優の演技を独自視点で分析する“イケメン・サーチャー”として「イケメン研究」をテーマにコラムを多数執筆。 CMや映画のクラシック音楽監修、 ドラマ脚本のプロットライター他、2025年からアジア映画配給と宣伝プロデュース。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業 X:
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